■■■ 幸せの青いこぶた 1 ■■■





休日の朝、目が覚めるとベッドが妙に広かった。
不思議に思いながら辺りを見回すと、窓も鏡も壁掛け時計もみんないつもより
高いところに見えて。
トドメが体を起こそうとしたらころんとあおむけにひっくり返ってしまった。
慌てて短い手足をばたばたさせると、うつ伏せに反転した勢いでベットからころころと
落ちてしまう。
昨晩着ていたパジャマと下着が抜け殻のようにベッドの上に置き去りにされていた。
あきらかに自分の体には異変が起きている。

カフカじゃあるまいしと思いながら玄関に向かって姿見を覗き込むとそこには―――
やたら可愛い一匹の青いこぶたが困った風情でこちらを見ていた。

突然子豚化した(しかも青い)己の姿を目の当りにして、咄嗟に「巨大イモ虫でなくてよかった」
などと考えたヤン・ウェンリーは、やはり常人と少しばかり思考回路が異なっているのかもしれな
いが、兎にもかくにも自分の身に降りかかる災難にさほど動じない彼は、パニックを起こすこと
もなくこれからの身の処し方について考える。
仕事は今日は休みだから取り合えずいいとして、問題はユリアン少年が訓練で明後日までいな
いということだ。
他に誰もいないこの部屋で、四つ足のこの姿では水を飲むことすらままならない。


一通りの知人の顔を思い浮かべた後、こぶたのヤンはうんうんと小さく頷くと、猫の元帥のため
に作られた小さな出入り口から外に出て、てとてと歩き出した。
目指すは同じ高級将官用エリアにある後輩兼部下の官舎。
戦場では限り無く不敵で豪胆、万事に好戦的な鉄灰色の髪の青年提督が、年少の者に対して
は至って優しく面倒見がいいことは要塞司令部の人間なら誰でも知っているが、実は小動物に
弱く子供の頃よくイヌだのネコだの拾って帰っては母に叱られていたことも、ヤンは知っている。

(アイツなら何か食べさせてくれるくらいのことはしてくれるだろう)
いつどうすれば元に戻れるかは全くわからないが、とにかく身柄の安全と食料を確保したい。
確か今日は午後出勤であるはずのアッテンボローの官舎目指して青いこぶたは必死で脚を動
かした。

もしかしたら、密かに焦がれる後輩の、自分の知らないプライベートを覗けるかもしれないなどと
いう微かな期待があったかどうかは判らないけれど。



大人の足なら十分程の距離が手足の短い小さなこぶたには果てしなく遠い。
朝遅く起きてから水の一滴すら飲んでいないヤンには人工とはいえ夏の日差しがキツくて、よろ
よろと何度も転びそうになる。

(も、もう駄目かも・・・)
諦めかけてへたり込んだところに、耳に馴染んだ心地好い声が降ってきた。

「ん?何だあれは・・・青いぶた??」

(あ、アッテンボろぉっ!!)
うるうる。
道端でへばっている青いこぶたに近づきかけたところ、つぶらな瞳に縋るように見上げられて
アッテンボローはぎくりとなった。

「な、何だよ。おまえさん迷子か?」
(アッテンボローっ。喉乾いたよ、おなか空いたよ、何とかしてくれーっ)
じたじたと必死で駆け寄ってこようとする、このえらく可愛い生き物をアッテンボローは
つい抱き上げてしまった。

(助かったよアッテンボロー)
うるうるうる。
抱き上げてしまった後でまずいと思ったが、青いこぶたはますます澄んだ瞳で訴えかけてくる。

「まいったな・・・俺これから仕事なんだよ・・・連れて行くわけにもな・・・」
(うん、わかってるよ。でもこんなところに置いて行かないでくれ・・・)
うるうるうるうる。

「そんな目で見ないでくれよ・・・」
(頼むよアッテンボロー・・・)
陥落寸前のアッテンボローに、こぶたのヤンは駄目押しの涙を瞳に浮かべた。
うるうるうるうるうるうる・・・・・・。
その姿はあまりに愛らしくいじらしく見える・・・。

「・・・・・・わかった。わかったよ。俺が拾ってやるから。もう泣くなよ。な?」
言葉など通じないはずの相手に必死で話し掛けるアッテンボローの優しさが嬉しくて
ヤンは小動物の特権とばかりにそばかすの頬に鼻を摺り寄せた。

「おいおいっ、くすぐったいよ」
くすくす笑いながらこぶたを抱きやすい形に抱きかえると、アッテンボローは普段は
通らない通勤途中にある大きな公園に立ち寄った。

屋台でホットドッグとミルクを買い、パンを一口にちぎってヤンの口に放り込んでくれる。

「ブタって何食うんだっけ・・・?ソーセージは共食いになっちゃうからまずいよなあ・・・おまえさん、パン平気か?」

優しく話し掛けるアッテンボローに甘えるようにしてパンとミルクを食べさせてもらうと、ひと心地ついたヤンは、
朝から続いている異常事態に疲れが出たのか、安心できる腕に抱かれてとろとろと眠気に襲われてしまった。



 No2→

































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